メヒティルト・フォン・ナイトシュタインは、ヒルシュべルク伯の宮廷からこのエンゲルタール修道院にやって来られ修道女になりました。そして、熱心な神の碑(はしため)となられました。毎日彼女は、
「神がよき最期を授けて下さいますように。」
と、願って祈るたびに泣くのでした。
神は、この願いを聞き届けられ、彼女に敬虔なる死をお与えになりました。死後、彼女は再び現れてこう語られました。
「神は、私が修道院に誠を尽くしたこと、とりわけ修道院長〔在任1283〜97年〕として誠意をもって聖務に耐えたことをお褒めになられて、測りがたい報いをお授け下さいました。」
メヒティルト・フォン・ナイトシュタインには、ゾフィー・フォン・ナイトシュタインという姪がおりました。彼女より先に、24歳の若さで亡くなられました。
死の床に伏せっていたとき、彼女は恍惚と脱魂にわれを忘れ、再びわれに返るとこう言われました、
「私は、あの世に行って、そこで見たり聞いたりしました。私はまだ、500年生きなくてはなりません。私は自分が知ったことをけっして完全には、言い表すことができないでしょう。」
幾日かのち、彼女は、歌を歌い始めました。ところが最後の「マリア」という言葉以外は、誰にもその歌の意味がわかりませんでした。
彼女は言いました、
「私は、自分が選ばれた人々の一人だとわかりました。以前は、それを知りませんでした。」
その翌日、最期の息を引き取るとき、彼女は、≪サルヴェ・レジナ≫「元后、憐れみ深き御母」を歌いはじめ、しかもいとも妙なる声音でそれを歌われたのでした。そして、彼女は亡くなられました。
死後、彼女は、信頼のおけるある修道女のもとに再び現れてこう言われました、
「私が≪サルヴェ・レジナ≫を歌い始めたとき、聖母マリア様がすみれ色の外衣(マントまたは、チュニック)をお召しになって入っていらっしゃいました。そして、その外衣を邪(よこし)まな敵めがけて打ち振られると、敵どもは皆逃げ去りました。私がこの聖寵を授かったのは、あの日、立ちづめで詩篇を唱えていたおかげでしょう。このとき、私は三度倒れました。私の身のうちには、すでに死が宿っていたからです。そして、詩編を唱えた日から数えて八日後に、私は世を去りました。」
(神の憐れみによって、煉獄で500年留められることを知った彼女は、死の九日前、立ちづめで詩篇を唱えました。これによって、彼女は罪の償いを果たされたのだと思われます。キリストが、十字架を負って三度倒れたのと同じく、一日中詩篇を唱えている間、三度倒れることによって償いを完了されたと思われます。こうしてその後、八日間だけこの地上で苦しまれ、8日後にこの世を去ることができたのだと思われます。罪は、赦されますが、罪の償いは、この地上において全て果たすことができないと、煉獄において償わなければならないのです。それは、この地上で償う期間よりもはるかに長い期間かかるのです。聖母マリアを讃美することは、神の深い憐れみを請い願う最も大きなお取次ぎとなる祈りです。聖主は、御母の願いを一度たりとも断ることができないからです。)
【 参考文献 】
中世思想原典集成15 「女性の神秘家」
上智大学中世思想研究所
/編訳監修:冨原眞弓 (出版:平凡社)
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著者:Joanne del apocalypse
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